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自分のルーツを尋ねる/その3
帰宅後、登記簿に書いてあることをひとつひとつ読み込んでみた。
書かれている人は全員亡くなっているワケなので推測の部分もあるが、合理的に考えていくつかのことが分かった。

曾祖父 勘四郎(1856〜1929:享年73才)
曾祖母 ツナ(1871〜1940:享年69才)

長男 勘助(1900〜1929:享年29才)

スタートはこれだけの話である。
勘四郎さんには男の子が一人しかいなかった。実はツナさんは後妻らしく、勘四郎さんには娘がいたが、ツナさんとの結婚前に嫁に行ってしまったらしい。前妻の詳細は記載がなかった。

結論から言うと、この勘助さんが祖父の実父でアイヌ娘を手込めにした食い詰め者らしい。あげくに若くして「コンクリート詰めにされて海に沈められた」どうしようもないヤツだ。
勘助の両親も早くから彼を見限っていた節がある。大切に育てた一人息子ではあったが、おそらくは若くして命を落とすか、生きながらえて家督を継いだらたちまち身上を潰すと考えたのだろう。山形から姿を消した数年後に羽振り良く戻ってきた勘助がアイヌ娘に産ませた子(祖父)を連れてきたときに、勘助の両親は息子を見限る覚悟を決めたようだ。祖父が生まれたとき、勘助とアイヌ娘はともに10代であった。

土人(当時のアイヌを意味する)の血を引く子どもなど納得はいかなかったかもしれないが、勘四郎とツナはまだ無国籍だったアイヌとの混血児に戸籍を持たせることにした。アイヌ娘を養女にしたうえで誰とも知れぬ福島県の三男坊を婿に取り、子供をもうけたことにしたうえで、1年半後に二人は離婚、勘四郎・ツナとの養子縁組も両者解消している。実の父である勘助とアイヌとの混血児は叔父と甥の関係ながら戸籍上は繋がったのである。

そのときまでにおそらくは勘助はトラブルを抱えて再び北海道へ出奔していたようだ。勘四郎とツナはもはや息子は帰ってこないと覚悟していたはずである。
その後、勘四郎は1929年4月に73才で逝去。推測の域は出ないが、ここでツナはひとつの決断をした。実の息子、勘助の死亡届を出したのである。勘助は1929年8月に北海道の恵山付近で死去したことになっている。行方不明だったものを、文字通り「コンクリート詰めにされて海に沈められた」ことにして確定したのだ。そして翌1930年4月にツナはアイヌとの混血である祖父に家督相続をさせることに決め、自らが後見人として就職(就任)している。
祖母と少年の二人暮らしは壮絶なことだったろう。少年が成人するまでは死ぬに死ねない祖母、何も事情は知らないがわがままいっぱいで育つ少年。祖父は東北電力の前身に就職したものの何を勘違いしたのかあっさり退職して芸術家を志した。20才を前にしてたくさんの弟子を取るほどになっていたからそれなりの才能はあったろうが、祖母の心痛はいかばかりだっただろう。

無事に祖父は成人し、20才の誕生日と同時に結婚をし、翌年には長男(ボクの親父)をもうけた。それを見届けるかのように、祖母は亡くなった。祖父が24才の時のことだった。
普通、そこまでしてくれたら、きちんと家督を継いで守りにはいるはずなのだが、祖父はあっさり上京をしてしまう。その辺がボクが芸術を信じられない理由となっている。芸術家という連中は、芸術のためなら全ての人は喜んで犠牲になるのが当然、と考えているように思えて仕方がないのだ。

ともあれ、祖父はその後に相当偉い芸術家になったし、それに反発した親父は勘当されたが希代の遊び人になったし、ボクは夜遊びと芸術が嫌いな食いしん坊になった。

しかしだ。気になるのはボクにとっての曾祖母、祖父にとっての実母のことである。戸籍をもうけるために一年だけ戸籍に入れてもらったあと、放り出されたらしい。その後の足取りは分からないが一時は寒河江市の慈恩寺付近の預かりになったようだ。父や叔父の話が本当であれば後に東京に出てきたことになるし、祖父の話が本当であれば、祖父から拒絶されつつ東京で90代まで生きて祖父の発展を見守り続けたことになる。
アイヌという出自だけでこんなに冷遇された人生で良かったのだろうか。曾祖母が祖父をおなかに宿したのはまだ年端もいかぬ10代のことだ。その後の人生の辛さと長さを考えたとき、哀れという他はない。今回、曾祖母のその後の足取りは分からなかった。それを知るべきかどうかは、現在考え中だ。

政治家に「日本は単一民族」と言われても腹が立つことはないのだが、半島出身の人たちがいわゆる日本人に対し団結してふっかけているのを見ると、疎ましい反面うらやましく思ったりする。アイヌでそういうまとまりをボクはみたことがない(するつもりもないけど…)。

別にボクは毎日鮭を食べたりクマを追っかけたりしているわけではないが、それでも何となくスタンダードな日本人とは発想が違うと感じている。血の濃さから言えばボクのアイヌは1/8でクォーターのさらに半分であるが、前述のとおり「変わった人」であるため、あなたの民族は何ですかと言われると、ちょっと考えたあとに国籍日本のアイヌ人と答えることにしている。少なくとも、「ボクら日本人の考えはね」なんてフレーズはウソをついているみたいでごくまれにしか使えない。

その1
その2
その3

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| タビ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
自分のルーツを尋ねる/その2
祖父の戸籍にはブラックボックスがあった。一時期、長万部町に本籍を置いていたようで、山形市から取り寄せた戸籍からは長万部時代の記述が一切抜けていたのだ。
戸籍を取るのに別に現地に赴く必要はないのだが、長万部で祖父がアイヌ人として暮らしていた場所がどんなところなのか興味があり、長万部町役場に行ってみた。

長万部町役場
長万部町役場

薄気味悪いまんべくんをあちこちに見ながら、町はずれの長万部町役場に到着。
すったもんだはあったものの、どうにか祖父の戸籍は取れた。

まんべくん
まんべくんはそもそも愛されることを前提としていない

戸籍は筆書き。祖父を育てた祖父の祖父など安政年間に生まれている。よくもそんな時代まで遡れたなと思うが、文字の解析は後回しにして、祖父の住んでいた場所に行ってみることにした。

当時の地番は今はなく、町役場の人たちが知恵を出し合って調べてくれた。そのうち、番外地という言葉が飛び交うようになった。
番外地か。網走刑務所じゃあるまいし、のけ者じゃないかまるで…。
そうこうするうち、祖父の本籍があった場所が現在は栄原と呼ばれていることが判明。ただし、住宅地ではないようで、厳密にここだとは言えないらしい。
「東に行って川を渡った先ですよ」
そんな説明でたどり着けるのか、と思ったが、行ってみたらまさにそんな雰囲気だった。

長万部の住宅街を抜け、国道、長万部川を越えるとその地はあった。
栄原は、字のように栄えている原っぱではない。むしろ、「栄えさせたい原っぱ」といった感じ。畑にさえなっておらず、牧草地なのか荒れ地なのか判別できない草地が広がる低湿地だった。見渡せば遠くの方にぽつぽつと農家が見えた。たぶん5キロ四方に20人は住んでいないだろう。
祖父の住んでいたころには何人のアイヌ人がここに住んでいたのだろう。そもそもアイヌ人集落があったのではなく、ここで祖父の父は開墾をしていたのだろうか。いずれにしてもうら寂しいところで、ここに住むのは自分には無理なように感じた。

上ノ追込=栄原
栄原

祖父は長万部での生活について、近所の人の話や和人との交流などは一切話してくれなかった。まだ幼かったので実母だけが相手の生活だったのかもしれないし、誰にも話したくもないような思い出があったのかもしれない。しかし、人の営みが全く感じられないこの場所からはそんなことさえ推測することができない。なぜだか涙が出てきた。

その1
その2
その3

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| タビ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
自分のルーツを尋ねる/その1
父方は山形県山形市の出身である。戦前のうちに東京に出てきたが、墓は天童にある。ただし、祖父はアイヌ人との間の私生児であった。
母方は山形県米沢市の隣町の出身である。背が高くて彫りが深くとても和人には見えないが、いわれは無いから和人らしい。

祖父は小さいころは北海道の長万部で生活していた。曾祖父が食い詰め者で、借金で山形にいられなくなって、ヒト山当てるために長万部でアズキか何かを栽培していたときに、近所のアイヌ人の娘を手込めにして生まれたのが祖父ということらしい。その後、曾祖父の成功により祖父は山形に連れてこられたものの、曾祖父はまたもや山形にいられなくなり、北海道へ行ってしまった。その後は音信不通となったが、おそらく向こうでもトラブルを起こして、今風にいうなら「コンクリート詰めにされて海に沈められた」のだと考えられている。祖父は祖父の祖父母に育てられた。

酒が入って機嫌のいいとき、祖父はアイヌ人の生活をいろいろしてくれた。ヒグマの毛皮にくるまると真冬でも暖かくて裸で寝ても平気であったとか、笹の葉で吹いた小屋の中は真っ暗で焚き火の明かりに照らされる大人の顔が怖かったとか…。しかし、基本的にはアイヌ時代の話は祖父にとって忘れたい記憶であったように思う。
実母は、終生、祖父の近くに現れたそうだ。ボクの親父や叔父が子どもの時に明らかに和人ではないおばあさんがこっちを見ていたことがよくあったと聞いたことがある。そのことは祖父も知っていたようだが、頑として親子の名乗りを上げなかった。祖父は実母を捨てることで日本人としてのアイデンティティを得ようとしたのだろう。

祖父の実母は相当長生きしたらしい。ボクが20才、祖父が75才ぐらいの時、やはり酒で機嫌が良かったときに「オレの生みの母はまだ生きていて、おまえのうちの近くに住んでいる」と祖父がボクに語ったことがある。事実なら祖父の実母は90を超えていたことになる。そのときでさえ祖父は実母と親子の名乗りを上げるつもりはないと明言していたが、だったら何で消息を知っているのかが不思議であった。

20年前に叔父が死んだ際、戸籍謄本を見て仰天したことがある。祖父の戸籍が生まれてから数年の間にあっちに養子、こっちに養子とたらい回しにされ、名字まで似てるけど違う何かに変わったり戻ったりしていた。
体が弱くてきちんと育つか分からなかったので戸籍に入れるのを見合わせていた、そう祖父は言い訳をしていたが、出自が出自だけにそれだけが理由とは信じがたかった。本人はともかく、周囲も祖父を日本人にするために苦労をしたのだろう。

数年前その祖父も他界した。ウチは超女系で、気づけば名字を継ぐ男子はボクだけになってしまった。家制度などとっくに過去のモノとはなっているが、とりあえず本家であるらしいウチの家の物語を引き継ぐも捨て去るもボク次第。そうすると、不思議なのモノで、とりあえずは自分のルーツを知っておこうという考えが沸々と湧いてきた。

まずは、長万部町役場に飛んだ。

長万部駅
長万部駅

その1
その2
その3

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| タビ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
飯坂温泉の橋本館/その2
飯坂温泉の橋本館には多くの有名人が訪れ、名湯で疲れをいやしたらしい。
蒼々たる顔ぶれであることは間違いないが、もうすぐ歴史の教科書に載ってしまいそうな人までいる。

081212橋本館M
由利徹

日本を代表する喜劇役者であり、スケベの伝道師。エッチやエロではない。あくまでもスケベである。カックン…。


081212橋本館B
森重久弥

江戸時代に市川団十郎がいたように、昭和に森重久弥ありと100年後の教科書には書かれるだろう。それにしても若いな。葬儀委員長として「順番が違うよ〜」と嘆いていた姿しか思い浮かばない。


081212橋本館R
十朱幸代

昭和中期以降にお茶の間のアイドルとして、「震える舌」「花いちもんめ」など社会派映画の女優として活躍した美女。年下の西城秀樹とスキャンダルがあったことを秀樹ファンのボクは忘れられない。これは娘のころだな。ちらりと写る自動車はキャデラックか?


081212橋本館C
巨人軍

もちろん、昔の巨人軍。阿部でもなければ原でもない。堀内でも王ですらない。スターではあるが長嶋がぺーぺーの扱いですらないこの写真の主役はなんと別所である。泣くな別所、センバツの花だ!


081212橋本館N
篠原涼子

なぜ彼女が?いや、彼女も伝説の仲間入りをするのであろう。多くは語りますまい。


歴史の風雪にさらされても色あせない人たちがいる一方で、どうしても分からない人もいた。だれだろう、この昭和45年ごろの化粧をした疲れたベッキーみたいな人は。きっと一世を風靡したには違いない。

081212橋本館H
はてさて

その1

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| タビ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
飯坂温泉の橋本館/その1
飯坂温泉駅と摺上川を挟んで反対側にあるのが橋本館。川沿いの風情漂う旅館である。
橋本館は昭和の香りが豊か。それも、半世紀前の佇まいまで残している、ある意味で得難い宿であった。

081212橋本館A
橋本館

「それでは、何かありましたらフロント9番までご連絡ください」
夕食の際に宿の人から言い渡されたものの…。
ネタではなく現役を務める黒電話に出会うのはこれが最後であろう。

081212橋本館Q
黒電話

廊下には昭和40年ごろのものと思われるパステルカラーのラジオや「チャンネルを回す」テレビなどが鎮座していた。さすがにこれは飾ってあるのだろう。

081212橋本館K
ラジオ

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テレビ

最近の品も無いわけではない。ファミコンを見たときは救われる思いがした。しかし、使えるソフトは棒人間が動くテニスとか粗末な野球ゲームが中心。インベーダーゲームよりはマシか。

081212橋本館D
ファミコン

温泉にはつきものの卓球台もあった。しかし、とてもこの世のものとは思えない雰囲気に怖じ気づき、すぐに退散してしまった。

081212橋本館I
廊下に置かれた卓球台

その2

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続☆ベタな落とし物
福島市郊外を流していたら、曲がり角に桃が散乱していた。カーブで勢い余って転がり落ちたのだろう。

081210桃A
道ばたに桃が散乱する光景

オホーツク海沿いを流していたときにホタテの貝殻が落ちていたのを思い出した

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| タビ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
沖縄の銭湯
那覇での公衆浴場をネットで調べるとスーパー銭湯的なものがちらほらと出てくる。那覇の人は岩盤浴が大好きらしい。普通の銭湯はないのかと無理にめくって調べると色っぽいカタカナの店名が…。それは特殊浴場だ!ダメダメ!
数軒に減ったしまったが、那覇にも銭湯はある。
那覇市の国際通りの北側、徒歩で7〜8分のところにあるのが日の出湯。

01外観
日の出湯

営業時間は玄関の横引き戸にマジックで書かれてある。最初は午後3時〜午後10時だったのが9時に変更されたらしく、紙が貼られていた。南方系のアバウト感が漂う。
番台は内側ではなく玄関の外を向いているタイプ。お姉さんに250円を払って、いざ参る。

02玄関
3時〜9時になったらしい

開放感満点でがらーんとした男湯。何がそうさせるかというと、脱衣場と浴室に仕切りがないからだ。何で省略しちゃったのだろう。
脱衣場に湿気が回るからか、窓は全開。外の景色がよく見える。これだけ外がよく見えるということは外から中もよく見えるのだろうが、そういうのは嫌いでない。見せて減るものではないから豪快にいこう。
浴場はすっきりとしたもので、カラン湯船使い方がわからない設備がある。

とりあえずカランから出る湯水を桶に溜めザバー。
このカラン、何か違和感があると思ったら、石けんなどを置く場所も鏡もないのだ。唐突に壁面に蛇口がついているだけ。使えないわけではないが非常に殺伐としている。調子が狂っちゃうな、などと思いつつ、妙に水深の浅い湯船につかって常連が使い方のわからない設備を使うのを待つ。

使い方のわからない設備は水回りらしい。
狭いトイレにありがちな手を洗うだけのコーナーみたいなものが数個設置され、水を受ける陶器の上には湯水のカランがついている。陶器の上には鏡があり、下には配管がされて下水へ繋がっているのが普通だが配管など無く、床に水がそのまま流れる
お、いかにも濃い沖縄のおっさんが設備の前に立った。何をするかなと思ったら、そのまま仁王立ちしてT字カミソリをシャキーン。なるほど、髭を剃るときのスペースだったのだな、と思ったら、イスを持ち出してきて陶器の下に座るじいさん。そのまま身体を洗って、頭も洗ってどうやって流すのかと思ったら、なにぃ!
湯水の蛇口を両方開いて陶器で適温に混ぜたかと思うと配管がなくてそのまま流れ落ちる流れで一気に頭を洗い始めた。シャワーというにはあまりにもみすぼらしい光景。これは思いつかなかった。

hinodeshort
写メを取るわけにいかないから絵にしてみたが(クリックで拡大)画力ひどいな…

ううむ。これが那覇のスタンダードということではなく、日の出湯のローカルルールなのだろう。
沖縄では昔は銭湯がたくさんあったらしいが、シャワーで済ませるなんちゃって欧米化の影響もあり、那覇でも今では数軒ほどしかないらしい。日の出湯も設備の更新などは一切していないので、ボイラーがぶっ壊れでもしたら事業の継続は怪しいものだ。この風俗を残すことにどれだけの意味があるかはわからないが、また那覇に来ることがあったら、是非もう一度訪れてみたい秘境感ではあった。

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| タビ | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
避花粉としての沖縄
飛び交う花粉が去年の半分であろうが、目の周りはただれ、咳は止まらず、滝のような鼻水。
花粉から逃げるには沖縄か北海道か外国に行くしかない。食事で苦労するのは目に見えているが、今年は沖縄に逃げることにした。

那覇空港駅
日本最西端の駅、那覇空港駅

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| タビ | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
痛恨の傘忘れ
金沢に用事ができ、羽田からひとっ飛び、と言いたいところだったが、この時期の金沢は荒天が多い。

冬の羽田富士
凛とした空気の羽田。富士山がくっきり

案の定天候が悪く1時間金沢上空で期待したのち、ものすごい揺れながら、何とか小松空港に到着。乗っていたJALは着陸できたけど、同じころに飛ぶはずのANAは欠航したらしい。
小松飛行場の雪景色を見たとき、はっとした。

傘忘れた!

小松空港A
小松飛行場は除雪で大わらわ

弁当忘れても傘忘れるな」が鉄則の金沢。先が思いやられる。

痛恨の傘忘れ
北陸鉄道漂流ミステリー
未完成
きっちりと
神楽
平和軒
近江町市場リニューアル

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| タビ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
弘法山/その3
弘法山から吾妻山を経て鶴巻温泉を目指す。実際のところ、秦野の登山口から浅間山・権現山を経た弘法山までの道のりと、距離も時間も大して変わらない。違うのは景色が単調であることぐらいだろうか。

道しるべを頼りに里山の雑木林をひたすら進む。とはいえ、南側は木々の奥に東名高速や住宅街が透けていて、北側は国道246号線に沿ったラブホテル群の軒先が迫っているので大自然に抱かれたような感覚はない。唯一、ここが山だと感じたのは熊出没注意の看板を見たときだろうか。こんなところにクマ?神奈川県の粋な演出と信じたい。

12吾妻山手前J
チワワを飼っているウチの玄関に「猛犬注意」とかかれているような現実との乖離感

吾妻山まで来れば鶴巻温泉までは遠くない。一息ついてお茶でも飲むかと思ったが、山頂の四阿やベンチで養護学校の人たちがのんびり昼食を取っていたので、立ち話だけして遠慮。先を急ぐ。

13吾妻山
吾妻山まで来ればあと1キロぐらい

道しるべに従って、くるりと右回り。里に下りると里というよりベッドタウンだった。振り返ると、住宅街の先に赤土の登山道が見えるが、こちら側から登るとしたら、まさかこれが登山道の入口とはわからなかっただろう。

14鶴巻温泉手前A
石の道しるべで右にくるり

東名高速をくぐり、住宅街を進むと鶴巻温泉の「弘法の里湯」。鶴巻温泉駅から2分ほどにあるため、あたりがマンションに囲まれた町中のスーパー銭湯風味であるが、自分を含めたハイキング帰りがあとからあとからやってくるという少しシュールな雰囲気。

14鶴巻温泉手前D
これが鶴巻温泉側の登山口とはちょっとわからない


15弘法の里湯
住宅街の中にある弘法の里湯

汗を流せば鶴巻温泉駅。小田急線は学生やサラリーマンでいっぱい。浮いたりしないように帽子や首のタオルをしまい込んで、日常生活の人波に紛れ込んだ。

16鶴巻温泉駅A
昭和っぽい鶴巻温泉駅


弘法山 その1 その2 その3

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